今日の姫路城及び付近であったことをあれこれを毎日掲載していくコーナー。(写真は今日じゃないものもありますが最後の「今日の姫路城」は当日撮影したものです。)
↑ジュンク堂で買った姫路城下古道界隈と姫路城下町ギルドの芳賀さんに教えてもらった「姫路城下うちまちものがたり」
「清水門」の名前の由来とは
【撮影2017.09.06】
前回、船場川の川底に眠っていた石碑を紹介しましたが、「清水門跡」の近くには、「清水門」の名前の由来となった、もっと有名な場所があります。
播磨十水に数えられた「鷺の清水」
それがこちら。「鷺(さぎ)の清水」という井戸です。この場所は古くから名水が湧き出ていたそうで、これは、その当時の井戸を復元したものだそうです。
この井戸の水は「播磨鑑」という江戸時代の本では「播磨十水」の一つとされ、風味が良く、茶の湯にも使われていたそうです。
水がとっても綺麗だった船場川
そして江戸時代は井戸だけではなく、船場川の水もとっても綺麗だったそうです。別名「玉川」と呼ばれていたほど綺麗で、今でも伊伝居の桑原神社の前には「玉川橋」という橋がかかっています。
姫路藩は木綿が特産品だったみたい!
↑写真は「木綿問屋」がたくさんあったという綿町の「茶房 大陸」の隣にある看板。
この綺麗な「玉川」の水で洗われた木綿は「姫玉」とか「玉川晒し」と呼ばれて江戸で大好評だったそうです。江戸時代の姫路藩は木綿が特産品だっんですね!
姫路は木綿で借金返済できたみたい
↑河合寸翁さんについては【姫路の銘菓『玉椿』の伊勢屋会長に誕生秘話聞いてきた!】でもふれています。
江戸時代に姫路藩の財政再建を任された名家老「河合寸翁」さんが、江戸でこの姫路木綿を売って73万両(約480億円)あった姫路藩の借金を返してしまった上に、24万両(約158億円)の蓄えができたそうです。どひゃ~!!
今日の姫路城
【撮影2017.09.06】
今日は「河合寸翁胸像」がある姫路神社のすぐ前から工事中のお城を見てみました。
【撮影2017.09.06】
ズーム!
まとめ
河合寸翁さんの胸像があるのは姫路神社です!
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