「十二所神社」は明治時代にとっても有名だったみたい【今日の姫路城569日目】

今日の姫路城及び付近であったことをあれこれを毎日掲載していくコーナー今日の姫路城

姫路の種副編集長ソウキチ
こんにちは姫路城下古道界隈をいくシリーズ!小学一年生にもわかるように姫路城を紐解いていくのを心がけたい、監修長のソウキチです。今日も路上のブドウちゃんと一緒にぶらり探索してきました!


ジュンク堂で買った姫路城下古道界隈姫路城下町ギルドの芳賀さんに教えてもらった「姫路城下うちまちものがたり」

外堀の続き「十二所神社」を散策してみた


【撮影2017.09.04】
今日は江戸時代に駅前にあった外堀の続き「十二所神社」へ来てみました。

 

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「十二所神社」の正面は東側!?


神社の正面は南向きが多いそうですが「十二所神社」の正面は東向きです。「うちまちものがたり」によると、神社の南側と西側には外堀があったため、東側が正面だったそうです。


※栄通りが参道だったお話は姫路城の先生「T兵衛さん」に教えてもらいました。「T兵衛さん」にはこれからドシドシ登場してもらおうと思っています。

そして姫路駅と十二所神社の間にある「南町栄通り」は、元々は十二所神社の参道だったそうです!

関西有数の藤の花の名所だった「十二所神社」


今も「十二所神社」には小さな藤棚がありますが、明治時代にはとっても大きな藤棚があったそうです。


↑写真は「T兵衛さん」に頂いた明治時代のものです。

その様子がこちら。遠く京都から藤の花を見に来る人がいるほどだったとか。その後、大正3年に外堀が埋立てられてしまい水がたくさん必要な藤の花は枯れてしまったそうです。

今日の姫路城


今日は「十二所神社」からまっすぐ進んだ「姫路市立白鷺中学校」の前からお城を見てみました。


ズーム!

まとめ

姫路の種副編集長ソウキチ
現在の十二所神社にある藤棚は戦後に植えられたものだそうです。

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