江戸時代!メインストリートが本町筋から二階町筋に変わった理由が面白い!【今日の姫路城556日目】

今日の姫路城及び付近であったことをあれこれを毎日掲載していくコーナー今日の姫路城

姫路の種副編集長ソウキチ
こんにちは姫路城下古道界隈をいくシリーズ!小学一年生にもわかるように姫路城を紐解いていくのを心がけたい、監修長のソウキチです。今日もジュンク堂で買った古地図を見ながら路上のブドウちゃんと一緒にぶらり探索してきました!

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城下町には西国街道が2本あったみたい


前回、江戸時代のメインストリートは二階町筋だったことをお伝えしましたが、城下町には「西国街道」が2本通っていたようです。

もう一本の「西国街道」


それがこちら、国道2号線(中堀)と二階町筋(西国街道)の間にある本町筋です。


本町筋を歩いてみると、船場川からすぐのところで「姫路城下街づくり協議会」のパネルを発見しました


写真は明治8年のものだそうです。これが二階町の由来、江戸時代に特別に許可された「二階立て」の町並みなんでしょうか??


こちらは以前紹介した埋門とされる写真だそうです。埋立てられる前の国道2号線はこんな感じだったみたいです。

最初は本町筋がメインストリートだったみたい

ジュンク堂で買った古地図(姫路城下古道界隈)によると、お城ができた当初は本町筋が「西国街道」だったようですが、それから20年余りが過ぎた頃、お堀の掃除で出た泥を使って本町筋を補修したところ、道がぬかるみになってしまったので、通行人は二階町筋を通るようになったそうです。


というわけで、江戸時代260年間のうち、最初だけは本町筋が姫路のメインストリートだったみたいです。ちなみに本町筋にある「板分」は天明4年(1784)に板屋分左衛門さんが始めたそうです。

今日の姫路城


というわけで、今日は江戸時代の最初だけメインストリートだった「本町筋」から姫路城を見てみました。


ズーム!

まとめ

姫路の種副編集長ソウキチ
「本町筋」は現在、細い一方通行の道ですが、お城ができた頃は姫路のメインストリートだったみたいです。

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