「京口」は京都へ向かう出入り口だったのが名前の由来みたい【今日の姫路城557日目】

今日の姫路城及び付近であったことをあれこれを毎日掲載していくコーナー今日の姫路城

姫路の種副編集長ソウキチ
こんにちは姫路城下古道界隈をいくシリーズ!小学一年生にもわかるように姫路城を紐解いていくのを心がけたい、監修長のソウキチです。今日もジュンク堂で買った古地図を見ながら路上のブドウちゃんと一緒にぶらり探索してきました!

この本がほしいかたはこちら

西国街道の続きをたどってみた


今日は「二階町筋」「本町筋」を越えて、「西国街道」をさらに東へたどってみました。

東光中学校の前で看板を発見!


ず~と歩くと、播但線京口駅の近くにある姫路市立東光中学校の前で「姫路市教育委員会」の看板を発見しました!


看板によると江戸時代はこの場所にお城の外堀があって、「外京口門」という門が立っていたそうです


すぐ近くに「城東区連合自治会」の看板もありました。

追記(2017.9.8)

地元の方々の情報によると体育館を建て直す時に「外京口門」の遺構(建物の跡)が発見されたそうです。今でも体育館の床下には、石垣がそのまま保存されているそうです。

京都に行くから「京口」だった


東光中学校のすぐ先には播但線「京口駅」があります。看板によると、京都方面へ向かう道筋にあるので「外京口門」だったそうです。


そして、東光中学校と京口駅の間を流れる「外堀川」はまさに外堀だったみたいです。

今日の姫路城


というわけで、今日は播但線京口駅のホームから姫路城を見てみました。


ズーム!

まとめ

姫路の種副編集長ソウキチ
京口とは、お城から京都へ向かう出入り口のことだったみたいです!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です