船場川は荷物を積んだ船が通る運河だった!?【今日の姫路城572日目】

今日の姫路城及び付近であったことをあれこれを毎日掲載していくコーナー。(写真は今日じゃないものもありますが最後の「今日の姫路城」は当日撮影したものです。)今日の姫路城

姫路の種副編集長ソウキチ
こんにちは姫路城下古道界隈をいくシリーズ!小学一年生にもわかるように姫路城を紐解いていくのを心がけたい、監修長のソウキチです。今日も路上のブドウちゃんと一緒にぶらり探索してきました!


ジュンク堂で買った姫路城下古道界隈姫路城下町ギルドの芳賀さんに教えてもらった「姫路城下うちまちものがたり」

「船場川」の名前の由来とは


【撮影2017.09.07】
今日も「うちまちものがたり」にある船場川の名所を訪ねてみました。

船場川は荷物を積んだ船が通る運河だったみたい


↑「清水門跡」近くにある「本多忠政」が立てたという「船場川改修の碑」

「うちまちものがたり」によると船場川は、今の姫路城の4代目城主「本多忠政」という人が、飾磨の港から城下町まで、荷物を積んだ船が通れるように整備して「船場川」と名づけたそうです。

船場川が運河だった頃の名残を訪ねてみた


船場川が運河だった時代はこの辺りはとっても賑やかで、川沿いに藩の大蔵(米蔵)や材木屋さんが立ち並んでいたそうです。↑写真は魚町にある「大蔵前公園」。昔はこの場所に米蔵があったんでしょうか。


船場川沿いの「コナミスポーツクラブ姫路中央」がある辺りは「材木町」という地名ですが、この辺りは材木屋さんがたくさんあったそうです。


「市之橋」交差点から道路が一方通行になる、今でも古い建物がたくさん残っている辺りも「材木町」です。


その奥にあるのが「小利木町」です。「材木町」と「小利木町」には船着場があったそうで、この周辺は船場と呼ばれていたそうです。

材木町にある 船着場 船溜りの跡


「材木町」には今でも、船場川が運河だった頃の名残があるそうです。


それがこちら。「舟入川の跡の碑」です。


この場所は、今は埋立てられて小さな川になっていますが、昔は川幅が広くて「舟入川」と呼ばれ、”船着場” → “船溜り”があったそうです。

↑修正、城下町ギルドの先生 芳賀さんに教えていただいたところ、舟入川にあったのは「船着場 ( 船を陸につけて、人や物を積み込んだり降ろしたりするところ)」ではなく、「船溜り (船を陸につないで休憩させるところ)」だったそうです。芳賀さんありがとうございます!

今日の姫路城


【撮影2017.09.07】
今日は「舟入川跡の碑」の少し先からお城を見てみました。


【撮影2017.09.07】
ズーム!

まとめ

姫路の種副編集長ソウキチ
昔は飾磨の港からお城まで船が登って来ていたんですね。

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