9月22日に姫路文化センター 小ホールで行われた『姫路モノレール開業50周年シンポジウム』のレポです。
開催場所
姫路文化センター 小ホール
[map addr=”兵庫県姫路市西延末426−1” width=”600px” height=”450px”]本日の催物ご案内
9月22日 13:00 ~ 15:30
【プログラム】
13:00 市長挨拶
13:10 基調講演
14:00 パネルディスカッション
(写真はうしろの方からとったのと照明が暗いのでみづらくてごめんなさい) 遅刻して市長挨拶はきけず、近畿大学理工学部社会環境工学科の岡田昌影教授の【基調講演】からでした。 お話は・・・ 「姫路モノレール遺構の価値を探る」 「朝日新聞2004年12月に”勝手に関西世界遺産”というおもしろい連載があり、その中でモノレールがとりあげられた。橋脚の写真をのせて”現代遺跡”というふうにネーミングされ、”時代に先がけすぎていた”と書かれた。姫路市役所が活用の可能性を探りはじめている。若手の方々がどう活用するかを実際に検討しはじめている。いままた姫路モノレールがもりあがってきているので、もしかして当時の報告書とかそういう成果品があればぜひ共有できればと思いますけど・・・ 貴重な動きが市役所の舎内ですでに2004年からあったことです。」 「みなさんこれにどういう価値があると思われますか」という質問に会場からも・・・ 帽子のおっちゃんからも「なんちゃら〜〜〜」と声があがり 先生「そういう・・・計画思想としての価値ですね」反応が多くうれしそうでした。 「わたしが思うに歴史学習としての価値・夢の語り部としての価値」 「それから廃墟景観、景観としての価値」 「それから土木遺産、あるいは文化財というものに・・・なるんじゃないか。いままでの価値観ではなりにくいというのが正直なところですけれども、ちょっといま時代がかわってきてますので、土木遺産・文化財という考え方もこれからはありうると思います。」 「歴史学習としての価値。まず出発点。これは姫路の博覧会自身の目的でもあるのですけど、1947年、戦災復興都市連盟というのができて、戦争被害からの復活ですね。実はここから始まっているんだということが!以外と重要なんじゃないかと思います。戦前の姫路のかがやかしい歴史というのはありましたが、そのあと戦災を受けてしまって、ここから戦後の姫路が立ち上がらざるをえなかったということ」 「1962年、姫路モノレールができる2年前に”姫路モノレールの敷設議案”が可決された。市内を環状線として構想すればいいんじゃないかということがその中で議論されていますね。実現されていたら大阪環状線とか山手線みたいなものがモノレールでできるわけですから、これが実現されていたらほんとうにおもしろかったんじゃないかと思いますけれど」 「1966年モノレール営業開始と姫路大博覧会。博覧会が大阪万博の4年前になりますね。大阪万博というのは日本の政府が国家をあげて世界にたいして日本の戦後、これから成長していくというその思想をアピールするするという国家的な使命をもっていたわけで・・・ある意味国の顔とかそういうことです。その4年前にさきがけて姫路博覧会をやっている。やはり大阪には負けられない、あるいは日本の政府自身にたいして、姫路は姫路でそれにさきがけていくんだというそういう意気込みのあらわれだという気がわたしはしてならないんですが・・・」 「それから1979年に残念ながら姫路モノレールは廃止させられるんですけれども、奇しくも同じ年にですね、”都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度”が発足。廃止と同じ年。あと1年、あと10年もし存続していれば、この補助金の制度を受けて姫路モノレールは復活したのかもしれない。これが同じ年におきているということが歴史の皮肉というか因縁みたいなものを感じます」 「歴史学習。ではどういう歴史をそこから学習すればいいのか?モノレール、博覧会もふくめて先進的な都市構想というのがあった!日本全国にさきがけてたいへん先進的なことを行っていた。それから結果的にとん挫しましたが、非常に高い先見性があった。これはみなさん姫路の方々が思っているだけではなくて、全国的にみても、あるいはもしかしたら世界的にみてもこれは疑いのない事実だと思います。それから構想自体がひじょうに大胆ですね。そして大胆な構想を下支えしていたのは未来にたいする”夢と希望”ということですね。おそらく戦災でどん底におちてしまったので、そこから這い上がろうという意志がはたらいたのかもしれませんけど、そういう夢と希望というものが大胆な構想を生み出したとうことですね」 そしてこのあと、廃墟のはなしが続きました。廃墟ブームや廃墟雑誌のはなしなど。 その次は土木遺産・文化財の話。余部橋梁と旧国鉄五新線の紹介。 【Keyword】 ●「部分保存」と「存在のリアリティー」 ●「未成線」と「未来に語り継ぐ先人の志」 ・姫路モノレール : 「竣工50年」の意味 ・姫路モノレール遺構という宝の「ブランド化」と活用に向けて ー「線的施設」の保存検討 ー市民へのアピール ーまちづくりのプルフェッショナルの眼 といったことを話されました。 登場するのは・・・ コーディネーター 九州大学百年史編集室助教の市原猛志さん そして、、 パネリストは、左から 石田東生先生は公共交通のあり方や町づくりの観点から話していただきました。 田口由加子さんは旧神岡鉄道の廃線を利用したレールマウンテンバイクのお話をしていただきました。 斉藤雪乃さんにはタレントらしい観点でモノレールあとの利用について話していただきました。「橋脚のこってますね、市長!?あの、橋脚と橋脚を・・・ロープでつないでスキーリフトみたいにしたら、のれるんちゃうかぁと思いました」と提案していただきました。 そしていよいよ、石見利勝市長のお話です! 市原さんが紹介します「価値をたかめて仲間をふやす。そのために必要なのは物語です。では!ここに実は貴重な証言者がいらっしゃいまして・・・石見利勝市長のおとうさんが、この姫路モノレールの構想を練って実際につくられたことになるわけです。是非!、お父さんの夢、どういったことを構想され、そしてモノレールにどういった夢をもっていたのかということを是非っ!石見市長からお話いただければと思います!」 市長「ありがとうございます!今日はたくさんの人にこられて先生方にモノレールの話をしていただいて、もう考えてもみなかった。親父にきかせたいなあ・・・としみじみおもいます。 戦後、親父からかぞえて5代目の市長としてわたしがいま働いておりますけれども。わたしが今やっている町づくりはすべて、初代の父親がつくった基盤のうえで、小さな町づくりをしているわけでありまして。姫路の町づくりの基盤はすべて、初代の市長がつくりました!! そのときの志はなんであったか?じつは姫路は神戸と岡山のあいだにある。神戸という大(??)の港があります。それからすばらしい歴史の、しかも県庁がある岡山。このあいだにはさまれて姫路は埋没する。これをなんとしてもふせがなきゃいかん。いうのがいつもの口癖でした。そのぶん親父は〜〜は岡山市というのをひじょうに評価してまして。静かな美しい町だ!歴史を感じる町だ!いうことでなにかドライブでも行こかいうと岡山へ。最後病気で入院したのも岡山大学病院でした。もう岡山ひじょうに愛してたと思います。で、モノレールをつくるにあたって、ものすごい急いだんですね。大阪まで新幹線が来とる!これも岡山につくのももうまもなくや。だからモノレールはよつくらんといかん。これが、遅れたら・・・新幹線が通った上をモノレールがいかなならん。さきにつくっとくと新幹線が上いきよる。だから工事費が5倍ぐらいかかる。だから世の中が〜〜〜市民が反対しようがこれだけはやってまお!ということであれやったんですよね。それでわたしはそのころ大学生ですから、そんな・・正義感もってるわけです。親父はあない言うけど、そら姫路市は得かしれんけど、、日本の国は(おまえ!)損やないかえ。国益と私益の〜〜、これはいまでも・・あります。これはわたしもあのとき思いましたね。姫路得するかもしれへんけど日本の国損するんちゃうんかえ!?思いました。 同じことがありますよ、播磨は。この明治から国を〜〜〜〜。富国強兵。国際貿易港をどうする?天然の良港はどこや?神戸や!もう六甲山からすぐ海ですからすごい深いんですね。そこで当時いちばん豊かであった播磨。播磨の富を全部ちいさな漁村であった神戸に、ぜんぶ投入したんですよ。それであの神戸港ができて、富国強兵に成功して日本が大発展をしたんです。その分播磨はひどいめにあっとるわけです。〜〜から〜〜整理から全部後回しにされて。しかし!国益を優先するという当時の播磨の人たちの考え方は正解です!!あのおかげで神戸港はいろんなことが発展したんです。やはり国益と地域益、私益が〜〜これいつでもあることです。そこで調和をいかに大事にしながらがんばっていくわけですけども、当時の播磨は明治政府の国益優先に協力したということでは、我々誇りををもって〜〜でございます。 その次にモノレールの計画で基本的に考えていたのは、パークアンドライドなんですね。これから車がもっと増える。だから車で通勤する、これはあかん。道をなんぼつくっても間に合わへん。だから近所に車をとめて、そしてそっからモノレールに乗って、そして通勤通学をするんだと。モノレールだとどこえでもつけられる。野里方面も飾磨方面も網干も。そして内環状、中環状、外環状、ゆくゆくは舞鶴までまでということを言っておりました。たいへん多くの〜〜でしたけどそういうことも考えてモノレールを始めたものであります。 しかし今みなさん家から事務所まで車で来て、足が弱っとるでしょ?わたしなんか東京へ行くとよく歩くんですわ。地下鉄だ私鉄だ国鉄だ。だからもう東京へ行くと足がしっかりする。姫路に帰ってくるととたんによれよれになる。今にね国体やると東京の人が全部優勝しますよ。いなかの人みんな足がよれよれになってしまう。それで姫路のまちづくりどうしよう。こんなフラットなええまちやから、とことん歩いてもらおうやないか。いうことで駅前からタクシー、バス全部西へ追い出して真正面を全部歩く人に開放した。いまもブーイングくろてますわ。不便や言うて。なんでや言うて歩く人のまちやもん。いうことでそういう形でつくっとりますが、当時の姫路市長も言ってた〜〜〜。これを基本に歩くまち、いうかたちでしたい!いうことで考えております。 当初わたしが市長になったとき、もうすでにモノレールをとりこわす計画が進んでおりましたんですが、なんとか残したい。ということで考えたのは、あのモノレールの上にネットをはって、慰霊塔まで歩こやないか。空中回廊、空中プロムナードどや!?いうことで平成15年わたしが市長になって最初に提案したんですね。そしたら〜〜の職員が危ない!もうあの桁はもたん。いつくずれるかわからん。桁もたんのか?いやあの、柱は強いんですが桁は危ないんで桁だけは壊さしてくれ。こう言うんですね。で、危ないんはあかん、いうことでこれはあきらめました。 次に考えたんはあの柱つこてソーラー発電、それから風力発電、これいこか。で、シャープさんまで行って相談しました。シャープの副社長さんがみえました。あのときにシャープが姫路へくるんちゃうかいううわさがたちましてですね。でシャープさんほんとに姫路へ来てくれたんですけど、あれはソーラー発電と風力発電の可能性があるか見てくれたんですね。工事費がかかりすぎる、これもだめだ、それでいまは緑化ということで、花を植えたりあの柱全部を、川にかかっている危険なものだけをのけてあとは全部緑化しようということで考えていますが、じつは姫路の工業高校の学生さんたちにいろんな提案を今してもらってましてね。そういう中で、ええ提案してくれ。ええ提案してくれたら、10万円分の図書券やるぞ!えらい安い報酬ですけど、今提案いただいてるところでございます。今日はいまいろいろご提案いただいてなんか行けそういう手応えがありました。レールをつけるとかですね、それから綱はってやったらどうか。じつは姫路駅は一枚板で〜〜〜〜で〜百メートルあるんですよ。あそこなにか車走らすかレールつけるか何か考えないかんな・・・」 どなたか先生が「〜〜化しますか?」 市長「このパネルディスカッションほんとに良い先生ばかり来ていただいてたいへん喜んでおります。ありがとうございました!」 パチパチパチ〜〜〜 このあとコーディネーターの市原さんが姫路に残る古い建物のお話をしてくれました。 そして会場の方から意見をのべてもらいました。 それでは終わりに石見利勝姫路市長からみなさまにご挨拶を申し上げます。市長、よろしくお願いします。 「今日はほんとうに客席のみなさんも参加していただいて。とくに3人のご意見をいただきましたけど、いまちょうど手柄山の総合計画を策定中でありまして、建設局長も来てますけども。たいへん参考になる意見を3つききました。え〜がんばりたいと思います。 みなさんご存知のように姫路というのは城下町なんですよね。城下町というのは便利やったあかんのですよ!便利やったらすぐ敵に滅ぼされる。不便に不便に不便につくるのが城下町。だから姫路のまちというのは道は滅茶苦茶不便なんです。したがってこれをなんとかせないかんというところでモノレールという〜〜も生まれてきたんです。 さらにはみなさん古い方はご存知ですけど、あの山陽デパートのモノレールのステーションのあたりはドヤ街だったんですね。姫路は暴力団がいちばん本部を持っておられる有力な暴力団のまちであったんです。それをあのモノレールという口実で・・・モノレールをつくるという理由をたてて、全部追い出してしまう。それであそこきれいになってしまった。それまではあそこはちょっとだれも近よれなかったまちだったんです。そういうところをモノレールという錦の〜〜で全部再開発してしまう。これは、今の、選挙で出てくるひ弱な市長ではできません!(会場から笑い声)選挙なんて知らんぞ。わしゃやるんや。というとんでもない市長がおらんと出来んと思う。初代にそういうとんでもない市長がおる〜。わたしは自分が市長になってみて、ほんとうにありがたい市長がおったもんやと、今感謝しておるんでございます。 また、モノレールの軌道。あれ、これから3センチぐらいにきざんで皆さんに売却しますんで・・・あのー、これであそこの再開発の費用にしたいと思います。文鎮に使うか〜〜に使うか、値段はこれから売れ具合を見て決めたいと思います。今日はモノレールを題材に客席のみなさんも熱心にきいていただき、普段とても集まっていただけない先生方に姫路までおいでいただいて貴重な提言をいただくということで今日はわたしにとっては目からうろこだらけのシンポジウムになりました。参加のみなさんとともに、今日の先生方に対して感謝を申し上げたいと思います。今日はどうもありがとうございました。 ぱちぱちぱちぱち〜〜〜〜!!以上シンポジウムでした。 あ〜おもしろかった! ロビーに出ると物販も大盛況! Tシャツの予約注文と本の販売してました スタンプをペタン。 後ろの方からだったので写真が見づらいのはご容赦ください。わからない言葉や難しい言葉はとばして書きました。市長のお話はオープニング以外はほとんど紹介させていただきました。レポ
「姫路モノレール遺構の価値を探る」
土木遺産・文化財の話。余部橋梁と旧国鉄五新線の紹介。
【いよいよ二部のはじまりです】
いよいよ、石見利勝市長のお話
姫路に残る古い建物のお話
来場者と意見交換
【そして最後は市長の言葉】
おまけ
まとめ
市長の名前間違えてるよ(´・ω・`)
石見市長
ご指導ありがとうございます!たすかります!感謝